物事の主軸を考えに入れず、
その周辺部を問題にして、攻めるというようなことにつながる
二つの記事を読んだ。
一つは、国連機構行動サミットでスピーチしたグレタ・トゥーンベリさん。
両親や、国際的な左翼に利用されているということや、
両親が資産家だということや、
その周りのことで貶められてはいるけれど、
それは、彼女のスピーチへの反論ではなく、
関係のないことへの攻撃でしかない。彼女の主張への答えや、反論は出ていない。
彼女はTwitterで、大人な反応をしているのが、また、う~んという感じ。
周りの大人の方が子供みたいに見える。
もう一つは、「宿題の廃止」「担任の廃止」などの学校の当たり前をなくした
麹町中学の工藤雄一郎校長の話。
「自由な校風」を目指したのではなく、こどもにとって「自由か、自由でないか」という議論は必要ではない。
例えば「服装や頭髪の乱れは心の乱れ」という見た目の「違い」が「どのくらい違うか」に
目を向けることは必要なのだろうか?と、
それは、教育の本質ではない。
さして問題ではないことをクローズアップして大人が問題を作っている。
そのせいで、本来教えたい上位概念
例えば人権上の大切なことや、社会に出て役立つこと
が教えられなければ、本末転倒だという話。
多くの学校や親はルールを守らせるのに必死で、教育の本質を見誤っている。
教育を議論するときに、ともすればその周辺状況に話がいって、教育本来のことには話が及ばないことが多々ある。
それも、本質を見誤っているんだろうなと思う。
そういうことは、たくさんあって
その物事の本質をとらえて議論するということがなされていない。
うわべだけで、周辺状況を攻撃することにきゅうきゅうとなっているのではないの?
一つずつ、整理して、一つずつ考える。
時々、
考えていることがずれていないか、を考えながら
ずれていたら、これは別のこと、今はこれ、と
軌道修正して考えないといけないんだなと思う。
日本人は特に、議論が下手だよね。
学校で、議論することを学ばないからね。
議論する機会が、まずないものね。
考えを整理整頓すること。
周りの話に惑わされずに、本質を見るようにすること。
心しておきたいと思う。
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